ナガレハジメる雑記

紡ぐifの世界線

大統領の一番長い夜

「これで私も君と同じ立場か。」


全米の混乱が冷めやらぬ中、トランプはゴルフ場でゴルフなどしていなかった。


「国を背負う立場には矛盾が付き物だと思わないか?」
トランプは電話口の相手に続けた。

「数億人分の人生と向き合うくせに、たった1人の人間とも自由に連絡が取れないなんてね。しかしだからこそ…」
「この会話には何事にも代え難い価値がある。そうだろう?ドナルド。」

電話越しに自分のセリフを盗まれたトランプは小っ恥ずかしそうに思わず頰を緩めた。
「まったく、バイデンなんかよりもよっぽど狡いよ君は。」
「真面目なだけでは国のトップは務まらないよ、ドナルド。」

 

若い頃より故郷・ニューヨークで不動産王としての地位を恣にしてきたトランプだったが、彼が大統領選に出馬した当時、アメリカのリーダーとしての資質を疑問視する者は少なくなかった。
実は当の本人もそれは同じで、過激な言動を繰り返すことでその不安を払拭しようとしていた。
自分は強い。何度もそう言い聞かせるも内心はいつも震えていた。

 

2017年の就任直後、ある1人の男がトランプの目を惹いた。
祖父も首相経験者であるサラブレッドだというその男は、当時既に首相を5年務めあげ、その巧みな外交力で各国を相手に大きな存在感を放っていた。

大統領として右も左も分からぬトランプが彼に心を奪われるのにそう時間はかからなかった。

 

それからというものトランプは外遊が楽しみで仕方なくなった。
G7サミットや2国間での首脳会談。世界の各地で彼と逢瀬を重ねた。
大統領専用機エアフォースワンに揺られながら気分はまるで初恋の幼馴染に会いに行く子供のようだった。
「今日はどんな話をしようか?話したいことがたくさんあるんだ。」

 


「いいかいドナルド、外交とは言わば我慢の駆け引きだ。」
2人きりの執務室に彼の声が響く。
「2国間で互いの想いが一致するようゆっくりと歩み寄る。時には強引さも必要だがね。」
「フッ、それじゃまるで…」
彼と不意に目が合ったトランプは言いかけた言葉を飲み込む。

執務室に長い静寂が流れた。

 


レームダック』という言葉がある。
直訳すれば『脚の不自由なアヒル』。転じて"役立たず"や"死に体"とも訳され、殊にアメリカ政治の世界では、選挙で負けたがまだ任期の残っている大統領を揶揄するのに使われることが多い。
事実上バイデンに敗れたトランプのレームダック化は徐々に進んでいた。

「"役立たず"と言うなら…」
保守派のFOXニュースですら自身の敗北を伝える報道を流しているのを横目に見ながらトランプは誰に向けるわけでもなく呟く。
「君が突然総理の職を降りたあの日から、既に私はそうだったよ。」
初訪日の際、川越のゴルフ場で撮った2人の写真を見てトランプは息を吐いた。

 

実は大統領選の直前から一部の共和党支持者は異変に気付き始めていた。過激な言動に陰りが見え始めたトランプはそのままCOVID-19にも罹患。
それはちょうど極東の島国の首脳が職を辞した直後のタイミングだった。

「病は気から…か」

かつて彼に教わった日本の諺を思い出しトランプは病床で自嘲気味に笑っていた。

 


大統領選に敗れたトランプは民主党の不正選挙を訴え、法廷闘争に持ち込む長期戦の構えを見せていた。
だがそれは表向きのポーズで、実際には大統領のポストへの執着心は微塵も残っていなかった。
彼が憧憬の念を抱いていた男は、首脳会談の場にはもういない。大統領を続ける意味はもはや失われていた。

だがトランプには自分の気持ちを整理する時間が必要だった。
公に敗北宣言を行えば、バイデンが正式に就任するまでの期間、"役立たず"となったトランプにはあらゆるメディアからの批判や訴訟の数々、手のひらを返したかのような国民の罵声が飛んでくることは目に見えている。

それらを受け止める覚悟は勿論出来ていた。ただその前に彼との時間をもう一度だけ作りたかった。
部下に不正選挙だと騒がせ時間を稼いだ。大統領の職を降りれば再び2人は対等な立場になる。
その前に米国大統領として、"役立たず"になる前の最後の仕事として、トランプはゴルフ場で彼に電話を掛けた。

 

 

「これからは首相と大統領という関係ではなくなる。私達の会話には"会談"だとかいう仰々しい言葉は使われなくなるんだ。」
トランプの声は興奮していた。
「それだけでこの地位を手放すのに十分な対価だと言えるよ。」

「そうだね、ドナルド。ところで一つ大事なことを伝えてもいいかい?」

 

その瞬間、空から突然轟音が鳴り響いた。すぐにSPが飛び出しトランプを囲う。

 

テロ攻撃か?いや、何でもいい。電話を中断したことへの報いを受けさせねば。トランプの頭は怒りで満ちていた。

SPの背中越しに辛うじて空を見上げると、ちょうど日の丸が描かれたヘリコプターが着陸するところだった。ヘリコプターから降りた男がトランプへと歩み寄る。

 

「まさか…シンゾー…どうしてここに…!?」

「『時には強引さも必要』…そう教えただろう?ドナルド。会えて嬉しいよ。」

 

そこに立っていたのは、かつてトランプが憧れたあの柔和な笑顔をそのままこちらに向けている安倍晋三その人だった。

 


その夜、トランプがあっさりと敗北宣言を発表すると全世界が呆気に取られた。
トランプは頗る晴れやかな表情で、お馴染みの攻撃的な口調はどこへやら、穏やかに言葉を紡いだ。

「完敗だよ。最初に君を見た時から私はもう負けていたんだな。」

トランプはカメラをまっすぐ見つめて言った。

 

それがバイデンに向けた言葉ではないということに世界の誰も気が付いていなかった。
それでいいんだ。合衆国大統領として、最後に地球上で君だけに言葉を届けられるなら。

この後の2人だけの"会談"で何を話そうか。議題は尽きないな。

会見場を後にするトランプの顔はまるで勝者のような表情だった。